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アンディ・ウォーホルの作品と生涯を通じてこの世に遺したもの

      2015/09/27

ウォーホルのキャンベルスープ

photo credit: warhol via photopin (license)

1960年代を代表するアメリカン・ポップカルチャーの中心人物「アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)」。ポップアートを全世界に広め、音楽プロデュースや映画監督、雑誌の出版、華麗な交流関係など、画家という枠を超えたマルチアーティストとして激動のアメリカ60年代に注目を集めました。

そこで、アメリカのカルチャーには欠かすことができない最重要人物であるアンディ・ウォーホルにフォーカスして時代的背景や作品、ファッションや映画についてまとめてみました。

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アンディ・ウォーホルとは

ウォーホル肖像画

photo credit: Four Warhols via photopin (license)

アンディ・ウォーホル (Andy Warhol,1928-1987)

本名=アンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola)は、アメリカ合衆国ペンシルべニア州ピッツバーグ出身の画家。ウォーホラ家の三男(スロバキアからの移民の子) として1928年に生まれる。両親ともにカトリック教徒の中で育ったウォーホルは幼いころから絵を描いたりカメラで写真を撮ったりと、早くに芸術の才能を見出す。

1949年カーネギー工科大学で絵画やデザインについて学んだのち、ニューヨークへ渡る。ファッション雑誌「ヴォーグ(VOGUE)」や「ハーパズ バザー(Harper’s BAZAAR)」で広告の腕を磨き、商業的デザイナーへと道を歩む。1960年代はじめに、アメリカの大量消費文化を象徴したポップアート作品を生み出し、時代を代表するアーティストとして成功を収める。

以後、音楽プロデュースや映画制作、雑誌の出版『インタビュー(Interview)』など、多種多様なマルチアーティストとして活動の幅を広げ、多くの作品を残す。1987年2月21日、心臓発作のためニューヨークで死去。享年58歳。

ウォーホルとポップアート

アンディ・ウォーホルを語る上で、”ポップアート”という言葉抜きで語ることはできません。元々、商業的デザイナーとして活躍していたウォーホル。1960年代初頭、ウォーホルはこの”ポップアート”というジャンルに踏み出します。ポップアートというのは、当時のアメリカにおける大量生産・大量消費文化を芸術に落とし込んだ作品を指します。ウォーホルはそのような文化の象徴をシルクスクリーンという形で制作し、1962年にロサンジェルスで初個展を開催したのがはじまりです。最も代表的な作品が、上の写真にある「32個のキャンベル・スープ缶」。当時は1000ドルで販売していたそうですが、現在では1500万ドル(約15億円)の価値があります。

このようなポップアート作品は、当時の1960年代アメリカにおけるカウンターカルチャー全盛の若者たちを大いに熱狂させ、ウォーホルの作品がアートを通じて次第に大衆へと支持されるようになります。

ウォーホルが描いたマリリンモンロー

photo credit: Andy Warhol via photopin (license)

その後、大量消費を象徴した「モノ」から「人物」へとウォーホルは作品の幅を広げていきます。その「人物」とは、”超”が付くほどの有名人を描いた肖像画です。その代表的な人物は、ハリウッドの象徴マリリン・モンロー。彼女が亡くなった翌日に制作し、追悼の念を込めて発表した「黄金のマリリン」。ほかには、ケネディー大統領が暗殺されたのを受けて制作した「ジャッキー」(夫人のジャクリーン・ケネディーを題材にした作品)。さらに、エルヴィス・プレスリーや毛沢東、ミック・ジャガーなど数多くの有名人の肖像画を制作しました。

ウォーホル作品の多くはその時代を象徴する”モノ”や”人物”を題材に制作を続け、人々の注目を集めながら「ポップアート」という新たなジャンルを築き上げたのです。

ポップアートから音楽プロデュース、そして映画制作

ヴェルヴェットアンダーグラウンド

ポップアートで成功を収めたアンディ・ウォーホルが、次に目を付けたのが”音楽プロデュース”です。1960年代半ば、ルー・リードを中心としたロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)」のファーストアルバム「Velvet Underground & Nico」のプロデュースを行います。ウォーホル作品のなかでも群を抜いて有名な、あのバナナの絵のジャケットデザインを手がけてさらに脚光を浴びます。(予算は3,000ドル未満で制作されたといわれています)

またちょうどその頃、映画制作にも精力的に活動を行ったウォーホルは代表作「チェルシーガールズ」をはじめ、人が眠っている様子を映した「眠り(Sleep)」、エンパイア・ステート・ビルディングを映し続けた「エンパイア(Empire)」など、合計して60本以上の映像作品を制作しました。

スーパースターの溜まり場「ファクトリー(Factory)」

ファクトリー

photo credit: DSC03074 via photopin (license)

人を惹きつける魅力があったアンディ・ウォーホル。1963年、ニューヨーク・マンハッタン東47丁目231番地。その建物の最上階に、ウォーホルのスタジオ「ファクトリー(Factory)」がありました。(俗にいうウォーホルの『シルバーファクトリー時代』)内装はすべて銀色に包まれたその異様な空間には、当時さまざまな人間が行き来していました。スタジオとして構えていたファクトリー(Factory)では、ウォーホルが手がけるアート作品や映像制作を行ったり、またパーティーも頻繁に開かれていました。時代は1960年代のニューヨークですから、かなり自由な雰囲気が広がっていたと想像できます。才能ある人々の溜まり場であったファクトリーは、今では伝説の場所と語り継がれています。

そんな一風変わったファクトリーには、時代の中心で活躍していた有名人たちも度々訪れていました。ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、トルーマン・カポーティ、デニス・ホッパー、イーディ・セジウィック、ルー・リード&ニコ、シルヴェスター・スタローン、ブライアン・ジョーンズなどなど…ちなみに、ウォーホルが発掘して出入りしていた人達を、当時ファクトリーでは「スーパースター」と呼んでいました。例えばイーディ・セジウィック、ヴィヴァ、ベイビー・ジェーンホルツァーがそれに当たります。

シルバーファクトリ時代のウォーホルは、豪華な人物たちと交流しながら60年代のカルチャー黄金期において時代の中心に存在していました。

好きなファッションは『ノームコア』

毎日、同じようなファッションを身に付けていたアンディ・ウォーホル。まさに、現在の「ノームコア(Normcore)」そのものです。ウォーホルの定番アイテムといえば、メガネはモスコット(moscot)、シャツはブルックスブラザーズ(Brooks Brothers)、パンツはリーバイス501(Levi’s 501)。派手なイメージのウォーホルですが、意外にもアメトラ(アメリカントラディショナル)のベーシックなアイテムを好んで長年にわたって愛用していました。また、ウォーホルといえば白髪のウィッグ(かつら)がすっかりトレードマークとなっています。

ウォーホルは生前、こんな印象的な言葉を残しています。「Think rich, look poor. (頭はリッチに、見た目は貧しく)」。彼自身のスタイルがしっかり反映されている言葉ですね。今の時代にもしっかり生きる言葉だと思います。

ぼくの哲学

>>ぼくの哲学 アンディ・ウォーホル

ウォーホルと関わった人物の映画

ウォーホルに関連する映画

(左から)ファクトリーガール(FACTORY GIRL)、バスキア(BASQUIAT)

アンディ・ウォーホルと交流のある人物は実に豪華で才能豊かな人々が揃っていました。これまでにウォーホル関連の映画も多く制作されてきました。そんな中でも印象深い作品は、ウォーホルのミューズにして60年代のスターであるイーディ・セジウィックの伝記映画「ファクトリー・ガール(Factory Girl)」。類稀なセンスと美貌の持ち主のイーディは、当時のウォーホルに認められてファクトリーに出入りしていた人物のひとりです。ボブ・ディランとの出会いや別れ、ウォーホルとの交流。60年代ニューヨークの生き生きとした雰囲気が伝わるこの作品は、イーディの視点から見るウォーホルの人物像がうまく作品を引き立てています。また、60-70年代ファッションも非常に参考になる作品となっています。

そしてもう一本が、アメリカの80年代を代表する画家ジャン=ミシェル・バスキアの生涯を描いた映画「バスキア(Basquiat)」。バスキアにとって同時代で活躍するウォーホルは雲の上の存在でした。この映画では、そんなバスキアの繊細な姿とその時代におけるウォーホルの影響力が見事に表現されている素晴らしい内容です。(ちなみにウォーホル役はデヴィット・ボウイが演じています)

ウォーホルの名言から学ぶ

生涯独身を貫き、独創的であらゆる謎を遺してこの世を去った芸術家アンディ・ウォーホル。生前、彼が語った言葉には現在の世界を予言していたかのような発言や彼の哲学が短い言葉のなかに凝縮されています。ここではほんの一部ですが、ウォーホルの有名な名言を紹介します。


みんな機械になればいい。誰も彼もみんな同じになればいいんだ。

I think everybody should be a machine, I think everybody should like everybody.


なんでオリジナルじゃないといけないの?他の人と同じがなんでいけないんだ?

But why should I be original? Why can’t I be non-original?


自分について何が書かれているかなんてどうでもいい。大事なのは、どのくらいのスペースが割かれているかだ。

Don’t pay any attention to what they write about you. Just measure it in inches.


誰もが15分は有名人になれる。そんな時代がいずれ来るだろう。

In the future everyone will be world-famous for 15 minutes.


アンディ・ウォーホルという人間について知りたければ、ほくの絵や映画を、ただ表面的に見ればいい。そこにぼくがいるから。裏には何もないんだ。

If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface of my paintings and films and me and there I am. There’s nothing behind it.


僕の墓には何も書かないでほしいと昔から思っていた。墓碑銘もいらない、名前もいらない。まぁ、もし入れるとしたらこんな感じだね、”全部ウソ”。

I always thought I’d like my own tombstone to be blank. No epitaph , and  no name. Well,actually, I’d like it to say “figment”.


 

“ポップアートの旗手”として時代の寵児であったアンディ・ウォーホルは、今の時代をどんな風に感じているのでしょうか。時代は変わっても彼の作品は人々の記憶に残り続け、これからも生き続けることでしょう。永遠に。

とらわれない言葉

>>とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル

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